2019/12/26 の現状

12月。イベント「にわたづみ」が終了 、京都に小林大吾がやってきて東郷明子さんの歌を聴いた。spotifyでタカツキの曲も聞けると岡本くんから教えてもらった、声が若い。そろそろアップデートしたいと思っているけれど、「自身名義のアルバムは4つしか出さない」というぼんやりした決め事を守っている。なるべく蛇に足を生やしたくないというか自分も好きなアーティスト、特にラッパーのアルバムは4枚目以降、聞かないしなあというのもある。そもそも4枚も出せると思っていなかった。

一生のB面にさしかかり、京都に戻ってきて、昨日東郷さんがたくさん新曲をライブでトライしているのが良かったので自分も新曲を作ろうと思っているのだが、2020年の現代、どういう形で出したものかと思っている。1曲毎でもいいのかなと思うけれど、はてさて。

そのまえに4枚のアルバムを振り返ってみる。2010年代はアルバムは出ていない(ウェブでポロポロ出したりしまったりしている)



2001 「hiphop music」 →京都から東京に出てきて、やっぱつまんねえなと思って戻る前にやり散らかしてみるべえとCDRの自主アルバム作ってみたら古川さん・磯部さんやブラストのアズーロ編集長がいたく喜んでくれて、手作り流通が間に合わなくなって、神保さんのウルトラバイブで流通が決まった。Mac8600にG3カード+ProToolsFreeという今ではとんでもない低スペックのレコーダーで作っているけど、京都にいた頃はMTR(マルチトラックのカセットテープレコーダー)で作っていたのでなんでもできるような気がした。今でもライブでよくやる「アヲイナツ」がはいっている。

2003「東京・京都・NY」 →気を良くしてで作った2枚目のアルバム。タワレコの特集ページに乗っけてもらって嬉しかった。ibookとipod(弁当箱)を購入して(自宅の)上野毛スタジオで出勤直前までミックスして、半蔵門線でチェックしていた。表参道ブルーノートで派遣していた時期がありオマール・ソーサなどたっぷり良い音楽を吸い込むことができた(大林マネージャー佐々木さん色々ご迷惑をおかけしました)。町田のQ-ill君の家に押しかけてレコーディングしたのが楽しかったし、色々衝撃だった。「同じ月をみている」「フウライボウ」など。カトウケイタのトラック。(2バージョン出ている)

2005 「タカツキタツキ」→ビビッド・サウンドから出たアルバム。ジャケットは実は小林大吾。スタジオとバジェットをつかってワイワイできたので「起承転結」の「転」になったアルバム。音がクリア。知り合ったタケウチカズタケやロマンクルー、女の子がたくさん入っている。この前後5年ほど住んだ上野毛「錦湯」の上の風呂なしアパートから生田に引っ越し、人生初車を持ってベースが運びやすくなった。期待したほどは売れなかったのでがっかりした。というか期待しすぎた。このころYoutubeが出てくる。

2009 「旅人のリズム」→ 無客演のアルバム。いつものことだがアルバムができると頭が焼き付いて呆然としてしまう。リリース直後に喜界島へ日食を見に行って廃人になったため、自主流通に戻ったにも関わらずプロモーションが全くできていないかわいそうな最後のアルバム。サムライトループスの方でメジャー契約が決まって文化村スタジオなどを贅沢につかってアルバムを出したが、思うようには売れずバジェットが縮小されたので駒沢大学駅にホー・チ・ミンスタジオというスタジオをつくっていろいろ録音をしていた頃。てかトラックにボーカルrec&mixならこれで十分じゃない?とエンジニアのサトーさんと色々実験研究した。このごろ京都のみんなのおかげでライブでこのアルバムからやる曲が増えた。